20代発達障害男性の日常

うつ病、強迫性障害、ADHD、無職の役満備忘録。

病気が足を引っ張る

前回記事で生い立ちというか、ざっくりな今までを書いたけど、その過程でADHD以外にも発覚した病気がいくつか。

 

うつ病強迫性障害の二つ。今を考えればADHDが根本としてあるので、そこから来たものかと。

 

強迫性障害はある程度落ち着いたかもしれないが、うつ病の症状はまだ時々出る。

希死念慮であったり、動けなかったり。

 

その辺諸々あって無職なわけだけど、これ等を踏まえた上で次の仕事が上手く見つけなきゃいけない。見つけても続けていけるのか不安で仕方ない。

 

こうした病気(はたまた自分の意識や努力が足りないだけなのか)が足を引っ張って今まで上手くいかない事の連続であった為に次の一歩は常に不安でしかない。

周りの人達が普通に仕事を続けるように私はどうすれば、同じようになれるんだろうか。

上手くいっている人達を見ると嫉妬してしまうし、物凄く焦る。

 

20代に入って数年で大人としてこなさなければいけないこともあるわけで、いい加減そろそろ安定しないといけない焦りと周りへの嫉妬を感じながら日々生きています。

 

どうしたら普通になれるのだろうか。

習慣化(ブログ開始の経緯と自分について)

20代前半になってやっとブログを始めてみました。

今時の方であればもっと早くこういった物を触られている事でしょう。よくは知りませんけど。

 

つい最近ADHDと診断されたばかりの言わば”ADHD赤ちゃん“な私が意識をもって習慣化するという事に慣れるためのブログであり備忘録。

熱しやすく冷めやすい事に大変定評のあるADHDがどこまで出来るのか挑戦です。

忘れないように、その日起きた事や思った事、ボケ老人のように食べた飯の事まで書く。

 

今回は今の自分と今までの自分に対して自分が思う形を忘れない様に、またこれから先これを見た時に当時どう思い、今どう思うのか。振り返れるように。

 

まああんま細かく書くと身内とかに特定されちゃうからね…仕方ないね…

 

今は23歳。中学時代までは親の離婚以外は特別問題なかっただろうか。

思えば幼稚園~中学生の頃からADHDの気は出ていたと思う。父はともかく母は大変苦労したと時々語ってくれた。

中学時代からは不登校となりそのまま親との確執(私見)があり家を出る。この時で15歳だっただろうか。高校にも当然ながら行かなかったし、そのまま住み込みでアルバイトをしたりして何とか住居は確保したけど、これまたADHDの特性か仕事はどれも長続きしなかった。その時は何で自分が仕事を続けられないのかと悩んだ記憶はない。

家を飛び出して良くも悪くも自分の身一つであり、自己責任だと当時思っていたので。

そのあとは首が回らなくなって友人の家を転々としたり、数ヵ月程、真冬の東北の無人駅で寝泊まりしたり昼夜当てなく歩き続けたりほぼホームレスのようになっていたり。

そんなこんなはあっても何とか生きてきて生活を繋ぐ術は覚えたのか、今に至る。

今も恥ずかしい話ではあるが、彼女に助けられてなんとか生きているような形。

相も変わらずで仕事を続けるというハードルの高さに足を取られてつい最近も仕事を退職したばかり。ADHDと発覚したのは今年の8月で今までの人生の引っ掛かりはある程度解明されたように思う。

解明できただけで対策はできてないんですけど。

 

仕事ってどうやって続くんだろう?周りの人は何故当たり前のように勤続1年以上出来てるのかまったく不思議であり自分には到底追いつけない壁のように感じる。

最近は自分が何故続けられないのか。という事も考えられるようになっただけマシではあるのだが。それでも今だに無職のステータスは変わらないし、もやもやとした気持ちで新年を迎える事になりそうだ。

 

私は周りの人や普通の人と比べて出来ない事がとても多い。

同い年の友達を連絡を交わす度に自分は彼らのずっと後ろにいるんだなと、いつも思う。

きっとこうやって嘆いてるだけじゃ変わらないのはわかってるんだけど。

少しずつで良いので自分の人生を良い物に変えていけるように、ここにその過程を書き記して、また何かを取り込めるように。

 

そんな感じでブログ書いていこうと思います。

 

明日また1記事書けるように頑張るぞ。